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ただ押し、どやどや、ドンド、どんどん焼きなどの語源に共通するものがあり、「大儺」につながるとは考えられないだろうか。また、踏歌の連想で、大地を踏みしめ、床や壁を打ち叩き、いわゆる無礼請で、異形のものが大音を立て、もみ合い、奪い合うことが、魂ふり、魂鎮め、豊作予祝(小正月の成木責めなど)と重なるように思う。
鬼が姿を現すというのは、これらの連続線上で、見えない「もの」が形をなしたと考察できる。
なお、修験道で「験くらべ」という競争のようなものがあるが、これも夏の「儺」の要素ではないだろうか。例として、鞍馬寺竹伐(六月二十日・蓮華会)における竹を爆発させる文字通りの爆竹などがある。滋賀県葛川明げあんご王院の夏安居(七月十六日〜二十日)の結願にも、大原の勝林院の修正会(一月二日)と同様に、太鼓(大原ではささらと鉦も用いる)を抱えた宮座の一同のなだれ込みがある。
なお、山路興造『翁の座芸能民たちの中世』「常行堂修正会と芸能」(平凡社平成二年)には日光輪王寺「常行堂修正故実双紙」(鎌倉中期から室町期の成立)よりの引用がある。正月一日より七日間の儀礼のうち、一日目の後夜(関白)において「除目の奏事」で、牛飼を所望する「イカニモヲカシキサマ」と記すさるごうわざがあり、三日目後夜の「江東」という曲では、問答の中で「船漕ぐ声ノ如クエイエイトニ声云ウ」、四日めには「ケケ」というオカシミの表現がある。一日目の日中では、「但以外の延言也チウジヤウ(調声)モ踊リ跳ネ」とまさしく厳粛な儀礼の中の焦礼講が描かれている。悔過の儀礼における唐突な座の爆発状況は、奇異にみえて、東大寺修二会(達陀など)、法隆寺(厳析)、大原勝林院修正など枚挙にいとまがない。さらに呪師が太刀や鈴をひらめかせて走り、悪疫を退散させ、結界する能力も一つの異能だと解釈でき、いわば広義の「儺」の必須要素なのだといえる。
饗膳(粥・餅のふるまい)
悔過全の次第を見ると、食物の準備に関する詳細な記述にであう。食事も儀礼なのである。
竹崎観音修正会鬼祭り(前述)では初夜の行ののち大きな焚き火のまわりで加持し、「サンカラ雑炊」を参詣者にふるまう。
大分修正鬼会(前述)初夜と後夜の間に相当する箇所で「目さまし餅」をふるまう。
日光輪王寺強飯式(四月二日・近世には祭礼当日・正月・歳末)太鼓・法螺・銅鑼・錫杖で囃しながら、飯を勧める。
鬼の儀礼に、餅が伴うことは、よく知られている。また、年末になるが、「猪の子餅」の習俗も広く分布している。『神戸の民俗芸能』では、子供たちが杖や棒で地面や訪問先を打ち叩き、かつては餅を出さぬと罵詈雑言を浴びせたとある。乱声と餅の複合である。
火(松明・焚火)
鬼の儀礼に松明はつきものである。が、逆に送り火や迎え火、祭具のお焚きあげも含めて、火の持つ呪力を思う時、これも広範な解釈が可能であろう。
弓矢・杖
破魔矢の表記を待つまでもなく、そして中国の大儺の桃弓葦矢の記述にみるとおり、駆邪には弓矢がふさわしい。
武射・ビシャ・サギチョウ・オビシャ・マト・ユミヒキ・ヤンサンマ(富山県・流鏑馬の転訛か)・ケイチン(奈良県・桜井)などの表現があり、マトには「鬼」の字を記すという記述(神戸・桜井)がある。
また、杖の呪力も悔過会に必須の牛王杖を筆頭として、種々に認められる。牛王札を田圃にさして虫避け、家の戸口に貼って火伏せ・盗賊避けにするのは、よく知られた全国的な習俗である。
「儺戯」の定義は、日本と東アジアの他の地域で若干異なるかもしれないが、通常は悪疫退散の儀礼とされる。鬼は悪の象徴であり、対立概念は護法神であろう。ただし、たとえば鳥や虫を益鳥や害虫と区別し、薬物を毒と薬とに分けるような観点から、「悪鬼と善神」は人との出会いのベクトルのようなもので決定されると思う。加護を与える祖霊と崇りを与える怨霊も同様である。鬼の扮装や仮面の有無を問わず、どこかに超能力を有する「もの」がいる。それを可能なかぎり、その折の「人」の望ましいベクトルに持っていくこと。それが広義の「儺」と解釈はできないだろうか。
<武蔵野音楽大学非常勤講師>
*注と参考文献は67頁参照

 

 

 

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